主人公絶対主義の危険性
このブログでの主人公絶対主義の定義は主人公が正しくて主人公から見て悪い事をする奴が敵。という考え方としましょう。
悟空から見たらフリーザは敵。
キャプテン・アメリカから見たらレッドスカルは敵。
ルークスカイウォーカーから見たらダースベイダーは敵?
アイアンマンから見たらシビルウォー突入時のキャプテン・アメリカは敵?
疑問が浮かびますよね。ぼくは正義と悪の境界線ってどこにあるのかなーって思う事が多々あります。
度々登場しますが、メタルギアソリッドではこの主人公絶対主義が大きく作用しています。
主人公はシリーズ通してスネークと言う名前を冠しています。
スネークが祖国アメリカを守るべく戦場を駆け抜けていく物語《サーガ》です。
多くのシリーズがスネークの敵対する組織が完全な敵でした。核を撃つ為の兵器メタルギアを使って世界を混沌に陥れようとする連中にたった一人で(たまに二人とか一人と一匹とか複数人とかにもなります)立ち向かっていく男らしさに痺れます。
スネークと言う英雄はファンからしたらとても崇高な存在でした。それが少しだけ揺らいだのはメタルの生みの親、小島秀夫監督が最期に手掛けたメタルギアソリッドV。
この作品からは復讐というワードは切っても切り離せません。
メタルギアソリッドVの前のシリーズでは祖国を信じて戦って来た伝説の男がかつての仲間とのすれ違いにより一人で組織を一から作り直し、かつての仲間達や愛した祖国と対等に渡り合う為に核兵器を保有します。
当時学生だったぼくにはとても自然な流れでした。
「スネーク達は正しい。あいつらは間違ってる。危険だ。世界の為にスネークは核を持つしかないんだ」と。
正に主人公絶対主義です。
さて、ここからがVの話(長くなってしまいましたね……)スネークの基地は大きくなっていきます。ある時、組織の仲間が捕虜になります。ヘリで基地へ帰還。これまでスネーク達が作り上げて来た基地は半壊し、崩れゆく基地の上では銃弾が飛び交い、仲間が倒れていきます。数人の仲間をヘリに乗せ、一息ついたと思ったら、助けた捕虜の腹の中に爆弾が仕掛けられていて、スネーク達は爆発に巻き込まれます。
基地や仲間、そして自身の片足片腕を喪い頭部に突き刺さった破片は脳にまで達しているという始末。そこから復讐の鬼となります。
簡単に言うと、これまでのシリーズで敵がしていた事を平気でします。
違和感ばかりが募り、展開していくストーリーに翻弄されながらやがて気づくのはスネーク達は社会的に敵になってしまったんだという点でした。
正義のヒーローだと信じてやまなかった男が、祖国に巣食う悪と対峙する為に力をつけていった結果が社会的な悪に堕ちていく事になるとは……
必ずしも主人公が絶対的に正しいとは限らないという視点をメタルから教わった気がします。
思えば大体のことをメタルから学び血肉にして来たと思います。色々ありましたが、小島秀夫監督の新作を早くプレイしたいです。ドキドキワクワクしつつ、また多くの事を学び、自分の今後の活動に活かしたい。そう思うのです。